こんにちは。
社長の木村です。
今日も新型コロナウイルスと最前線で闘う医療従事者の皆様に感謝申し上げます。
東日本大震災から節目の10年を迎えました。
10年の月日が流れましたが、心の傷は未だに癒えません。
今でも思い出すと辛く苦しいのですが、節目の10年なので私の体験をお伝えしたいと思います。
見渡す限りの茶色光景、本当にここが陸前高田なのか。
忘れられません。
生活音も人の気配もなく、強い北風とカモメの鳴き声、油と焦げた匂い。
津波で家も畑もすべて瓦礫に埋もれ、塩害で草木は枯れ果て、地盤沈下で道路は水没。
電気・水道などのライフラインは破壊的被害を受けていました。
これが現実なのか。悪夢であってほしい。
なぜこんな酷いことがおきているのか。なぜ罪のない人々の生活を命を奪うのか。
強い悲しみで理解することができませんでした。
私は2011年4月からボランティア活動に入りました。
活動場所は、陸前高田市を中心としたまちです。
頻繁に発生する余震、土地勘のない現場、情報が錯綜している本部、目まぐるしく変わる状況。
早く何とかしたい焦りと苛立ち、自分の力のなさ。
色々な葛藤がありました。
瓦礫撤去現場では悲惨な現状と寒さに闘いながら、避難所では”大丈夫だよ”と
気丈に振る舞う姿。
多くの悲しみと先の見えない不安を抱えながらも精一杯の笑顔をみせてくれる現地の方々。
心打たれました。私がもっと強い人間にならねばとやりきれない思いになりました。
まだまだやり切れぬことが沢山ありましたが、私自身の守るべき会社・社員そして家族のため帰路に就きました。
後ろ髪惹かれる思いで車を運転しながら考えるのは現場のことばかり。
人手は足りるか、リーダーは誰かできるか、避難所の連絡はしたか。
途中のサービスエリアで引き返そうかという衝動に何度も駆られました。
埼玉に帰り、自分は毎日暖かい部屋でテーブルで食事し、暖かいベットで眠れる。
笑うことすら罪悪感に苛まれ、早く手伝いに行かないとと思う日々で睡眠障害になり、気づけば一日一食の生活に
なっていました。
ですが、毎月行くたびに変わっていく被災地の強い前向きなパワーで共に頑張ることができました。
この時代に与えられた試練。過酷ともいえる状況でしたが、みんなで力をあわせ乗り越えていきたいと思っています。
亡くなった方のためにもこの災害を伝承し、これからも誰かの一時の笑顔を支えられるように強くなりたいと心からそう強く思います。
これからも東北で新たな活動を行っている仲間の後方支援をしていこうと思います。
このお知らせの写真は、私のデスクに10年間入れている志津川付近のものです。
仕事で上手くいかない時にこの写真を観て頑張らないとと励まされています。
”津波に流されて何もあげられるものはないけれど『ありがとう』”
ありがとうの魔法の言葉を胸にこれからも頑張っていきましょう。